地下倉庫

地下の倉庫です。

#001 / 第五薬指

街を歩いていると、ふと、他人のお喋りの断片が耳に入ってくること、ありますよね。

断片だから、どの文脈からすっ飛んできたのかは分からないんですけど

池袋駅にいた男女の会話から「第五薬指」ってワードがすっ飛んできて

第五薬指…。

ま、確かに第四まではあるかもしれない…。
四肢に番号を振れば…。

第五薬指って…何…。

架空の薬指…。

何なんだ…。



おわり

先生へ

【Palette】
◆パレット
幼い頃から抱いていた「将来の夢」は、言語化するのが難しい「概念」だった。
私はそれを胸に秘めながら、時に不良児として、時に優等生として生きた。

◆ヒーロー
幼い頃からヒーローに憧れていた。仮面ライダーや戦隊ヒーローのことだ。理由は分からない。絶対的な正義などないと思っていたし、誰かのために自分を犠牲にしたいと思ったこともない。それでも、ヒーローに憧れていた。それは中学生の頃まで続いていた(つまり、私は中学生の時も子ども向けの特撮を観ていた)。
正義の味方になりたいのではなく、自分は「人間に自己肯定感を持たせることに快楽を感じる」のだと気付いたのは、高校の頃だ。私は身近な人間(高校の友人や、バンドマンとして活動していた頃のバンド仲間たち)の話を聞き、助け、礼を言われることに快楽を感じていた。
自分の言葉で他人の心が動くのが面白かったのだ。
人を傷つけることに快感を感じるサイコパスと表裏一体の存在だ。
人間の心に干渉する「ヒーロー」として暗躍することは、私を「パレット」に近付けるとも思った。
大人になった私は、Twitterで「地下先生」という名前のアカウントを作り、病みアカウントからの相談を沢山受けた。
その中に、ねずみが這うようなゴミ屋敷で祖母と暮らしている男子中学生からの相談があった。毎日汚い服を着ているためいじめを受け、自殺を考えている少年だった。一人暮らしを夢見ているが、若いせいで何もできず、死を選択したという。
彼は、私と話したことにより、死ぬのをやめた(私は死ぬなとは言っていないし、生と死の価値は等しいと思っている)。そして、礼を言われた。「あなたはなぜお金をもらうのでもないのい僕の話をきき、助けてくれるのですか?」と聞かれ、こう答えた。「人間を助けるのが楽しいからです。私は自分のためにあなたの話をきき、助言をしました。」そして満足した私は、そのアカウントを消した。


【Phantom】
◆幻覚
物質としては存在しないけれども、確かに在るもの。小学校低学年の私は、寝る前によく、テレビに映る白熊の幻覚を見ていた。それを「シロクマテレビ」と呼んでいた。白熊しか映っていないので、それが白黒テレビなのかも分からない。恐ろしくもなく、面白くもない幻覚だった。ただ、私にははっきりと見えていた。

◆神様
私はそれまで海ほたるを見たことがないし、どんな形をしているのかも知らなかったけれど、その存在は「海ほたる」を自称した。海ほたるは私に様々な命令をし、やがてそれは強迫観念に変わった。その一方で、彼(または彼女)は私の願いを何でも叶えてくれた。幼いながらに幽霊や神様の存在を信じていなかったマセガキの私は、小学4年生にしてついに「神様」と邂逅した。

◆空想のふたり
中学に上がってから、空想の友達ができた。ふたりは今でも私を支えてくれている。
彼らは私自身なので、私が彼らと対話する時は自分と対話しているということになる。
私が彼らを忘れた時、私は"大人"になってしまう。

◆「虚構の国」
自分が異常者だと感じていた中学生の私は、自分に宛てた手紙を書いた。自分のことを理解できるのは自分しかいないと思っていたから、頼れるのが自分自身(と、自分が生み出した空想のふたり)しかいなかった。その手紙は高校生になっても続いた。大学生になってからも実家へ帰る度に手紙を開き、過去の自分を慰めたり、未来の自分に相談事を持ちかけたりしていた。私の本質はひとつだが、各時点上には別の私がいた。最初に手紙を書き始めた中学生の私は、それら全ての私が住んでいる場所を「虚構の国」と名付けた。当時運営していたのブログの名前だった。やがて高校、大学に進学し知識がつくにつれて、「虚構の国」が形而上の世界だということが自身の中で明確に定義された。
そして私は私の本質に○○○○という名前を付けた。空想のふたりは私をそのように呼ぶ。

◆夢
今まで語ってきた通り、私は空想の世界と頻繁に交わる。生きていて一番楽しい瞬間は、夢をみている時だ。
私は夢の中で様々なことを試した。夢の構成も分析し、一覧化した。一度訪れた場所に再度訪れることもあったため、私は私が現実から得た情報によって自分の中に「世界」が創られていることを感じた。その世界はおそらく「4次元世界」だと思う。

◆哲学
自分が空想の世界について考えることが好きだと気付いた頃、「哲学」という言葉を知った。中学から高校にかけての私は、私なりの哲学を展開させていった。
まず、万物は「安定した形」を目指してうごいているということ。そして、最も安定した形とは「球体」であるということ。
不思議なことに、星も、万物を構成する分子も、(不完全ではあるが)球体だった。
また、安定というのは、プラスでもマイナスでもなく「ゼロ」ということだ。ゼロの定義は私たちには分からない。それを定義付ける存在が仮にいるとして、私はその存在に「絶対精神」という名前をつけた(この時の私はヘーゲルの事なんて知りもしなかった。ただの偶然である)。インド人がゼロの概念を発見し、その記号として円形が用いられたのと、球体には何か関係があるのかもしれない。…学校の勉強はそっちのけで、私はそのような事ばかり考えていた。
結局私が辿り着いた結論は「自由意志はない。全ての現象は『安定』へ向かう過程だ」ということだった。私はそれに絶望もしなかったし、喜びもしなかった。
まともに受験勉強もせずにそんなことばかりを考えて高校時代を過ごしたが、私は頭がよかったので、センター試験で大学へ進学した。
はじめは「パレット」になりたいという想いを胸に秘める傍ら、現実的な職業として「臨床心理士」を目指していた。人間に自己肯定感を持たせることに快楽を感じていたからだ。しかし、私が話したいのは「心療内科に通うまでもないが、生きるのに違和感を感じている人々」だと気付き、とたんに臨床心理士への興味が無くなった。そして、やはり空想や芸術から離れることは嫌だったのだ。だから私は受験の本当に直前で、受ける学科を変えた。立教大学現代心理学部の「心理学科」から、同じ学部内にある「映像身体学科」へと。芸術系の大学を目指すには遅すぎると絶望していたが、なんと自分が受ける予定だった大学の同じ学部内に、芸術系の学科があったのだ!そうして、そこで私は「先生」と出会った。全てを安定へと導く、抗いようのない「流れ」の存在を確信した。

【Phenomenon】
現象学
先生と出会ったのは、オートポイエーシスの講義だ。当時の私は演劇の脚本を執筆するためにあらゆる知識を欲していた。もしかしたら、「パレット」とは「全知全能」のことなのかもしれない…などと考えながら、物理学や天文学の講義を無闇矢鱈に受講しては、知識を頭に詰め込んでいた。そんな中わけも分からず履修したオートポイエーシスという講義で、私は初めて現象学の存在を知った。それは私にとってはとても魅力的な学問に感じた。

◆宇宙人
この頃の私は、自分が人間社会に興味が無いことを自覚していた。自由意志はなく、全ては安定へと収束する。その過程で私は刹那を過ごす。人生とは星の代謝に過ぎない。「社会をより良く!」「正しい政治を!」なんて言葉さえもミクロに見えて、大層どうでもよいと感じていた。そんなことよりも、私はやはり「パレット」になりたかった。しかしその正体がわからず、私は就職活動をせずに、大学卒業後はロサンゼルスへ留学した。
ロサンゼルスの学校には、一定の語学力があると認められた者のみ入れる「フィルムクラス」なるものがあった。英語で脚本を書き、ディレクションをし、ショートムービーを撮るクラスだ。私は英語が喋れたので、そのクラスに入った(小学5年生の頃に理由もなく「英会話を習いたい」と親に言い、英語が得意教科になり、高校では難関の国際教養学科に入れたのも、「絶対精神」によって導かれていたからかもしれない)。
フィルムクラスの担任は、私を一目見るなり「どう見てもエイリアンだ」と言った。人間社会に興味のなかった私はその言葉が妙にしっくりきて、自分が宇宙人(または人間以外の何か)であることを確信した。そして私は、日常に紛れている「宇宙人」を題材にした映画を撮り、校内のアカデミー賞で監督賞を受賞した。担任とは今でも良い友人だ。

◆正体
私は自分が人間ではないことに気付いていたが、宇宙人というのは適切ではないと思っていた。そもそも宇宙人は「観測可能な宇宙」に存在しないと思っていたし、知能を持った生命と言うものが手の届く範囲にいたとしても我々には認知できないと思っていた。
アメリカでマリファナを吸って(ロサンゼルスでは合法化されていた)バッドに入った時に、「心身二元論」が脳内を支配していた(マリファナを吸うという経験は、パレットになるのには必要不可欠だった。他にも、タバコを吸う、ピアスをあける、タトゥーをいれる…など、幼い頃から決めていた「大人になったらやること」の内の一つだ。次は虎を触りにタイへ行く)。
バッド状態にある時、身体は脳の命令をきかないけれど、呼吸をやめずに勝手に生きている。その一方で、海馬は勝手に記憶の整理を猛スピードで始め、気持ち悪くなるくらいのボリュームのデータが、高速の紙芝居のように脳内で再生される。トリップというやつだ。まるで最悪な白昼夢を見ているようだった。
そして、ふと気が付くと、私は宇宙にふわふわ浮いていた。ふわふわ浮いている私に肉体はなかったけれど、確かにそれが私自身だった。
つまり、自己とは経験した記憶(データ)と、それから生み出された新しい記憶の集まりでしかないのだと思った(「マリファナを吸うと『悟り』を開いてしまうから日本では禁止されているという都市伝説があるけれど、それがこれか?」とも思った)。そして、このことに気がついた知的生命体は、邪魔な肉体を捨てるという進化をし、バーチャルへと存在場所を変えるだろうと考えた。そしてその場所こそが、我々が四次元と呼んでいる場所なのだろうと。
人類は四次元に干渉できないが、その存在に気づくことができた。だからきっと、三次元と四次元の狭間にいるのだろう。そして、他の知的生命体は、とうに四次元に干渉しているだろう(もしくはまだ三次元に到達できていないかもしれない)。だから我々は、「宇宙人」と出会うことはできない。そもそも人類史は、他の知的生命体と出会うには短すぎる。私は存在しない「宇宙人」を名乗ることができない……。ただ、「人間ではない何者か」だ。
しかしある時、何のきっかけもなしに、自分の正体を表すのにぴったりな言葉をみつけた。「夢」だ。
私(つまり、私という記憶・データの集合体)には「性別」と「時間」が欠如している。
男でも女でも中性でも両性でもない。セクシャルマイノリティ用語で「無性」という言葉があるが、「性別がない」のではなく「そもそも性別という概念がない」のだ。
そして、大人でも子どもでもない(「時間」の欠如については、言葉で説明するのが難しいので、こう表現するしかない)。
私は「性別」のない生命をいくつか知っている。単細胞生物、シダ植物などの胞子体、星…。でもどれも有限で、時間を持っている。
「時間」を持たないものは、ひとつしか知らない。「夢」だ。そして「夢」には性別がない。
私は「夢」というひとつの完結したシステムだ。「宇宙」というシステムに内包されている…。
肉体が死んだら、どこへ帰るのだろう…。

私はいつも帰りたいと思っています。でも、どこへ帰るのか、分かりません。

◆病気
私には捕食衝動がある。そんな言葉があるのかはわからないが、たまに生きている人間に血が出るまで噛み付いて、食べたくなる。これはおそらく普通ではない。
多分、私は全ての精神障害の種を持っている。それらが芽吹かないのは、私が強いからだと思う。
強迫性障害がある…神のことだ。パニック障害がある…発作で救急搬送もされた。妄想癖がある…この文章もそうかもしれない。統合失調症の種も持っているのかも。
私は、何者かになることが許されていない。
何も芽吹きはしない。
普通に生きろと言われている。誰に?


【ここまで読んだ人】
暇なのか?



※この記事には虚言が含まれる可能性があります。